支援者の声
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
丸 昌孝 顧問
■NPO参画のきっかけ
もともとは青森県十和田市で建設業を営んでいましたが、その後東京に移り住んでから早18年目になります。現在も建設関連の仕事に従事しています。理事長とは健康セミナーで知り合いました。理事長の熱い『障がい者支援トーク』に触れて、理事長が普通の人とは異なるレベルで情熱的に取り組んでいることを直感しました。お話を詳しく伺うと、理事長は障がい者が持っている資質や能力にフォーカスし、それらに価値を見出そうとしているのだと理解することができました。何より理事長の障がい者が持っているものに対するアプローチや方法論には、強烈な印象が残りました。
■助け合いが自然な農村での共同社会「結」を思い出す社会モデル
現代社会では、しばしば勝ち負けで評価されがちです。弱い者は生産性が低いとされることもありますが、私が育った農村ではその考え方が異なりました。私の実家は田舎で農業を営んでおり、田植えなどの作業では親戚や近隣の人々が助け合わなければなりませんでした。そのために「結(ゆい)」という農業共助組織が存在していて、この組織には多様な人々が参加しており、能力の高い人もそうでない人もいます。男性、女性、大人、子供がそれぞれの役割を果たし、弱さがダメとされるのではなく、むしろ協力し合うことが重要視されました。だからこそ、理事長が語る社会モデルは、私の心に深く響いたのだと思います。
■「人類愛」に近いプログラム
私の親や周囲の人々は、実親に事情がある他人の子供を育て、社会に送り出す取り組みをしていました。その取り組みはあまりにも自然なものであり、私はあまり意識することなく過ごしてきました。時間や財政的な面での課題もあったと思いますが、育てた子供たちが立派に成長し、感謝される様子を見ることで、お金には代えがたい幸福を感じていたのだと思います。この経験が、私がNPOに参画するきっかけとなっています。理事長も同様の感覚を持っているように思います。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
落合 智恵 監事
■NPO参画のきっかけ
私はIT会社で会社員をしている普通のサラリーマンです。趣味を楽しんだり、旅行ができるような金銭的な余裕はありますが、裕福という生活までは送っていません。母はキリスト教の学校を卒業しており、同級生のシスターが愛育院の施設に携わっています。時折寄付をしているのを見て育ちました。若い頃は「他人ではなく、自分に小遣いをもっとくれないだろうか」と思っていましたが、段々と歳を重ねるごとに自分も何かしら他の方への奉仕をしたいと思うようになりました。独身で子供もいないので、次の世代に何かを遺したいという気持ちも芽生えてきたのかもしれません。理事長とは共通の友人を介して知り合いました。まだ当該プログラムが検討段階の時にお話を伺ったときに興味を持ち、サラリーマンで大きな財産を持っていない私にも「何かちょっとしたことができそう」と思ったのがNPO活動に参加したきっかけの一つです。
■自己満足?と悩んだアメリカでのボランティア活動
アメリカの大学に留学しているときに学校のプログラムで貧困地域の小学校でのボランティアに参加しました。1年ほど週に1回、小学生に家庭教師をするというプログラムです。対象は貧困のため勉強が出来ない児童で、私が住んでいた町から線路を超えた東側が貧困地区で夜は治安の問題でドミノピザの配達もされず、私も行ったことがないエリアでした。初めて車で行ったとき家や道路の汚さ、室内にエアコンが無いのか外にいる人も多く、普段住み慣れているエリアとは違う世界が広がっていました。車を駐車場に停めた後、怖いため走って小学校に駆け込んでいましたが、小学生はとっても可愛く愛情に飢えているようで人懐っこく甘えてきます。回を重ねるごとに週に1時間では子供の気分転換にはなっても遅れていた勉強を取り戻せるレベルにもなれず根本解決はできないと悩みました。小学校の先生などには感謝されて学校の行事に招待して頂いたりしたものの、「どうやったら救えるのか?」というモヤモヤを抱えたまま活動が終わりました。
■人生を変えるお手伝いを普通の人ができる仕組み
理事長が考えたプログラムで一番大きく惹かれたところは、一時的な施しではないというところです。施しだとずっと施し頼りになりますし、多額の寄付となると、一般の人には支援の敷居が高かったりします。大勢の人がちょっとずつ生活に影響なく援助することができ、また助けてもらう側も自分で労働をして頼りっぱなしにならない点が良い点だと思いました。 お名前フォントが書いてある名刺を見たり、お名前フォントのスタンプを見ると、一生懸命書いてくれたのが伝わり心が温かくなります。助けているようで、こちらが助けてもらっているプログラムだと思っています。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
星川 隆夫 理事
■NPO参画のきっかけ
星川と申します。不動産業および遺品整理・廃品処理の会社を経営しており、設立してから約3年が経ちます。もともと仕事の一環として、4つのNPO団体と関わりを持っています。遺品整理の仕事を通じて、寄付活動など身近な支援活動にも関わっています。ですので、倫理法人会での理事長の障がい者支援の講話は身近なものであり、私の関心を引くものでしたので、このNPO活動に参画することにしました。
■若い時の交通事故
実は19歳の時に交通事故に遭いました。高校の部活の仲間たちと忘年会から帰る途中で、6人中2人が亡くなったのです。私は入院していたため、彼らの葬儀に参列することができませんでしたが、そのうちの一人の弟は、障がい者でした。彼がようやく就職した直後に亡くなり、その親御さんに何もしてあげられなかったことが、私にとって大きなショックなことでした。今まで仕事が忙しく社会貢献に取り組む余裕がなかったこともありましたが、現在は自分で会社を立ち上げていますので、その会社を通じても社会貢献に努めたいと思っています。
■他の活動ともつなげていきたい
先ほどの事故の件もありますが、周りがすでに亡くなっている友人が多いと感じる年齢に私もなりました。そのため、今できることを行動したいと考えています。理事長の講話には6回以上も応援に駆け付けたり、障がい者とその親を支援する会に毎月参加したり、障がい者の女子ソフトボールチームの応援も行っています。これらの活動を結びつけることで、より意味のある支援ができればと考えています。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
畑 賢人 理事
■NPO参画のきっかけ
株式会社ランドコンサルティングの畑と申します。不動産仲介の会社を経営しております。仕事関係で参加しているビジネス交流会において、理事長をご紹介して頂きました。当初は別件の話題で会話をしていましたが、後に障がい者支援の活動について伺う機会があり、その時に理事長の情熱的な姿勢に触れて、このNPO活動に賛同いたしました。
■交通事故に遭った息子のこと
実は私には、高校野球をやっていた息子がいます。大学に進学してからは野球の審判をしていましたが、交通事故に遭ったのです。事故は非常にひどく、頭を強く打ちましたが、幸いなことに、脳外科の素晴らしい先生がいらっしゃり、適切な手術を受けることができました。事故の後遺症として、半身不随になる可能性もありましたが、息子の体力が幸いしたのか、現在は自分で歩くことができるようになっています。しかし、脳に障害が残り、失語症と高次機能障害を抱えています。幸い息子は身の回りのことを自分でできるようになりましたが、現在は就労支援施設に通っています。お陰様で、息子の状態は少しずつ改善していますが、親の私が亡くなった後のことで悩んでいることも多く、そんな時に理事長と出会ったのです。
■このNPOで働きたい気持ちを支援したい
息子も施設での調理の仕事に興味をもってくれたのもありますので、生きがいをもって働くサポートをしたいと思っています。一方、このNPOに関わる障がい者にも同様に支援が必要です。今後、息子のことについて、お金の問題だけでなく、社会に適応した生活を営むためにはどうすればよいのかと思い悩むこともありますが、息子以外の障がい者にも何か支援をしたいと思うようにもなりました。理事長やNPOの参加者と協力し、障がい者の方々へ希望に沿った支援を行いたいと考えています。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
高橋 良和 理事
■NPO参画のきっかけ
栃木県宇都宮出身の高橋と申します。宇都宮は餃子やラーメンが有名であり、今でもその美食を楽しむために食べ歩きをしています。かつては電機メーカーで12年間ほど勤務し、その後はフリーランスのITエンジニアとして約5年間の経験があります。主に情報セキュリティに関わる業務に従事しています。以前、前職の先輩の紹介で理事長とお会いしました。その際、先輩の紹介ということもあり、最初から理事長に対する信頼感がありました。その後、仕事の忙しさもあり、一時期は連絡を取らない期間もありましたが、仕事が落ち着いたタイミングで再び連絡を取り、このNPO活動の話を伺うことができました。障がい者へのボランティア経験さえ私にはありませんでしたが、理事長の話を聞いて、「いいことしかないじゃないか」と思い、理事長のNPO活動に賛同いたしました。
■小学生時代の道徳教育や親の方針が考えの根底に
理事長の人柄を理解していたので、自分がお役に立てると思いました。ちょうど名刺が必要だと考えていた時に、障がい者の描く「お名前フォント」を使う機会が訪れたことは偶然ではないと感じたのです。振り返ってみると、小学生時代に受けた道徳教育の中で、「こういう問題をないがしろにすることは許されない」という考えを持っていました。おそらく、長い間そのような考え方を意識していたのでしょう。また、私の親は「障がいがあっても差別はすべきではないし、特別扱いもしない。しかし、他人には常に優しく接するべきだ」という教育方針を持っていました。
■他の人もハッピーになる活動
このNPOの活動は人々に役立つものだと思いましたし、理事長のお話を聞いて共感しました。仕事が大変だった時に、善行を行うと後で良い意味で報われることがあります。見返りを求めるつもりはありませんが、善行は積極的に行っておくべきだと思っています。その逆もまた真で、手を抜くと痛い目に遭うこともありました。障がい者が働く施設を見学した時、皆が一生懸命働いている姿がとても印象的で、その障がい者たちが幸せになれるなら、この活動には価値があると思えたのです。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
安 慶陽 理事
■NPO参画のきっかけ
株式会社パワープラントの安と申します。社長の家庭教師をさせて頂いており、今年で14年目になります。全国での講演業やコンサルティング、本の出版もさせて頂いております。理事長とは社会貢献活動の勉強会で知り合いました。まず理事長が名刺で使ったおられた「お名前フォント」が印象的でした。その勉強会での理事長のプレゼンが情熱的でしたので、別途、理事長にお時間を頂戴して詳細をお聞きしたところ、理事長が考案した「お名前フォント」は障がい者の可能性を活かすことができており、さらには、障がい者の給与を補助するマネタイズもできており素晴らしいビジネスモデルだと感心させられ、是非ともNPO活動に参加したいと思ったのがきっかけです。
■考えさせられた障がい者施設の訪問
親戚に知的障がい者が1人います。小さい頃は一緒に遊ぶことがありましたが、だんだんと会うことも少なくなり、障がい者だったことは後に知りました。私が出版している本のカバーや帯をつける作業は、就労継続支援事業所にお願いしていたこともありました。ですので、障がい者が働く実際の現場に伺ったときの色々と考えさせられる経験が、理事長が想うところを感じ取ることができたのだと思います。そして何より、今でも私の母は週2回ほど、障がい者グループホームのお手伝いをしているので、母の影響もあるように思います。
■最初は気軽にと思った応援でしたが、関わるなら主体的に
最初は少額の寄付から障がい者への応援が出来ると思いましたが、このNPO活動は寄付活動ではなく、障がい者が描いた「お名前フォント」を健常者が名刺交換時の自己紹介で使いこなすビジネス活動であることに気がつき、関わるのならば、主体的に最後まで関わりたいと思うようになりました。もともと他人事で物を考えない性格の部分も、このNPO活動にすぐ賛同した理由にも思います。また、私は独身なので、未来の誰かに貢献したい残したい気持ちがあり、次世代の人たちに対して何かやれるのならばとの想いで、このNPO活動に参画しています。やると決めましたので、最後まで関わる覚悟をしております。
【NPO法人 障がい者給与補助機構】
辻 寛 参事
■NPO参画のきっかけ
辻寛と申します。静岡県浜松市出身で、その後横浜に移り住んで就職してから16年が経ちました。現在は日揮グローバル株式会社で働いており、プロジェクトの一環として海外への出張も頻繁に行っています。これまでにアフリカ、アメリカ、サウジアラビアなど、様々な国を訪れてきました。そんなあるとき、理事長のモーニングセミナーに参加し、非常に価値のある内容だったため、自分も参画してみたくなりました。
■信念をもっている理事長の活動を応援したい
ボランティア経験さえありませんでしたが、仕事柄、海外の宗教や信念に触れることで、信仰心の深さに感銘を受けていました。特にアメリカの文化では、キリスト教の価値観が根付いており、皆が助け合う姿勢が見られます。理事長が仕事をしながらも、障がい者支援の活動を信念を持って支えている姿には、驚きと尊敬の念を抱きます。また自分のできないことに取り組む人々への応援の気持ちもあります。
■最後までやり抜く姿勢を障がい者支援にも
仕事柄、海外でのプロジェクトを完遂し、現地の方々と協力して成功させ、帰国する必要があります。これまであまり意識していなかったのですが、仕事でも学生時代の部活動でも、最後まで諦めずに取り組むことを心掛けてきました。おそらく、これは最後までやりぬく責任感の強い親の影響もあるのだと思います。理事長の話を伺って、障がい者支援活動に参画することを決意しました。なぜなら、この活動も最後まで責任を持って支援し続けることが大切だと感じたからです。この考え方は、仕事と同様なのかもしれません。